Body Mind Spritのつれづれ

スウェディッシュマッサージをベースにしたオイルタッチセラピー@あさごや(東京・阿佐ヶ谷)セラピストによる学びとつぶやき

魂がつながるという感覚

最近は、学生と面談をすることが多い。一人一時間ぐらいかけて、じっくりその学生の関心あるテーマや、社会の課題との関わりなどを一緒に考え、サポートするのが本来の役目だ。ただ、社会との大きな課題を話すより、その人のこれまで生きてきて考えてきたこと、好きなこと、おかしいと思ったこと、違和感なんてことを話すことで、自分自身の中にあることを一緒に見て行ったりする。そして、今の生活、学校や、バイト、好きな趣味、家族のことなどが、その人の取り組む課題のヒントになったりするので、支障のない範囲で(プライバシーなんでね)話してもらいながら、一緒に考える。

そんなときに、ごくたまに、その人の大切な何かに触れたりすることがある。何か、困っていることだったり、自分自身への思いだったり、過去の出来事だったり。2人でズームで話していると、そんな大切な部分を開いて見せてくれる時がある。そして、自分も、何か自分自身にある大切な思いを取りだし、相手にまっすぐ伝えていることがある。そのとき、自分でも話しながら、言葉に魂が入った感覚を持つ。そして、時に、相手との話で、魂がつながるような感じになることがある。

 

マッサージで人と触れているときも、相手と話をしている時の感覚と似ている。ゆっくり手を置き、相手の身体や呼吸を感じていると、少しづつ身体がゆるんだり、体内のうごめきを感じたりする。そして、呼吸を合わせたり、身体のうごめきを手に感じながら一緒に揺れていると、何かすっとつながるような感覚になることがある。そんな時は、身体のどこがどういう状態かとか、これからどうしようとか考えず、その時、その感覚に没頭している。

 

相手に直面しなくても、それに近い魂が入る感覚があるときと、ないときの違いを感じることがある。例えば、文章を書いていても、書きながら魂が入っている時と、入っていないときがある。自分が、心から伝えたいと思って書いている時と、立場、役割、見せたい自分などで書いている時、みたいな。そして、その魂が入っているかどうかによって、人に伝わるものが明らかに違うと思う。もちろん必要な情報を伝えることも、役割や見せたい自分も大事ではあるが。

 

人それぞれ、自分の大切なとこと、魂の入った時間を過ごしている。僕も、いろいろ好きなことをやりながら、魂の入った時間、魂がつながる時間も過ごしている。でも、本当に自分の人生自体が、魂がこもっているのか、と思うと、そこは実感がない。見せたい自分や、役割や、自分自身にあるブロックなどで、いろいろ自ら枠を作ったり、自己規定したりしているように思う。

自分自身の内面を深く見るワークショップに参加することで、どうやら自分は自分のことを分かっていないぞ、見ないようにしていた自分や、自分で勘違いしていたこともどうやらありそうだと気づく。そして、自分自身を開放するヒーリングや、身体を使ったワークを体験することで、思考では溶けない自分の殻のようなものを、少しづつ開放しようとしているような気がする。

最近、言葉では越えられないものはある、言語や考えることは大切だが、思考だけでなく、感情は大切であり、身体を使うもの、身体で感じるものが大切だと思う。ずっと、家でこもる生活だったが、外に出て五感で感じたり、身体を動かしたり、声を出したり、そんなことをしながら、自分の中の脳以外のところをもっと使っていくことをしよう。